「謄写版印刷(ガリ版)MIMEOGRAPH」 只今執筆中!!


謄写版製版道具:原紙、ヤスリ、鉄筆セット、修正液


「謄写版」と聞いて、嗚呼…となる人は、それなりの年齢の方かと思います。若い人には何の事やらさっぱりではないでしょうか。
「ガリ版」と聞いて嗚呼…となる人は、そこそこいるかもしれませんが、実際に体験がある人はやはり少ないかと思います。
大体1980年代前半ぐらいまでが実際に現役として使用されていた最後の時代かと思います。
かく言う私も、それほど精通しているわけではなく、小、中と先生の印刷の手伝いをした覚えがある程度です。
また、卒業文集も謄写版でしたが、すでにボールペン原紙というものが出回っており、鉄筆ではなくボールペンで製版した
記憶があります。

通称ガリ版は、本来謄写版(とうしゃばん)と言います。基本原理は1890年代にエジソンが発明したのだそうで、英語名は
MIMEOGRAPH(ミメオグラフ)と言います。欧米などのアルファベットが主体の文字文化では、活版による印刷や、タイプライター
が急速に進歩して、謄写版の出番はあまり無かったようです。
その点日本語は文字数が膨大ですので謄写版は非常に重宝で、他国には見られない「謄写版文化」が花開くことになったのです。
ガリ版などと言うと、いかにも趣味的かつ簡易印刷の様に思われがちですが、その技術は体系化され、活字印刷と見紛うばかりの
完成度を持っている事は意外に知られていません。もちろんそこまで行き着くには相当の技術的訓練が必要な訳で、大抵の場合
そこまで行き着けず、従っていかにもアマチュア的印刷となってしまい、学級新聞の延長の様に思われてしまっているのです。



では早速、謄写版を見て頂きましょう!


事務専用の謄写版印刷機。典型的なスタイルの物。これはかなり後期のものと思われます。ネジ類がプラスネジですしね。
謄写版には事務用や営業用、美術用など印刷する目的に特化した仕様のものが存在しました。
(あくまで特化しているのであって、基本構造は同じ。あれじゃなきゃこれは出来ないと言った事は無く、後は工夫次第)


蓋を外したところ。印刷用のスクリーンと、用紙置きがあり、ローラーやインク練り板などは本体の
引出しの中に収納されています。「引出し式」などと呼ばれるタイプです。
インク練りはガラスの板でできています。(ステンレスのバットなど色々試しましたが、このガラス板
が一番使い易いですね!



スクリーンを上げたところ。このスクリーンの下側に原紙を貼り付け、印刷します。
スクリーンは本来絹の紗を使用しますが、現在は入手が難しいので、ナイロンの紗を使用します。
1枚刷るごとにこのスクリーンを持ち上げて印刷した紙を抜き取る訳ですが、この謄写版は
スクリーンがバネ仕掛けになっており、ローラーを離すと自動で跳ね上がるようになっています。
この様な仕組みは、「速刷り」用で、ベテランになると1時間に数千枚刷る事が出来たようです。
しかもカウンターが付いており、スクリーンを持ち上げると枚数カウントされるようになっています!
つまり、何枚印刷したか一目瞭然! と言う訳です!なんという工夫でしょう!



跳ね上げのバネ仕掛け。収納時には閉じたままになるように、レバーでポジションを変更できる様になっています。
至れり尽くせり!です。
写真ではちょっとわかりにくいですが、台の下側の空いたスペースにローラーなどを収納した引出しが収まります。



サイズは美濃版 美濃版とは現代のサイズで言うとB4に近いサイズ。(上に置いてある紙がA4)




こちらは戦前の物と思われる小型の謄写版 イメージとしては薬箱の様な感じです。



前出の謄写版は合板製ですが、こちらは無垢材で蟻組み加工してあります。物作りに対する考え方の時代の差、かな。
サイズは美濃半版。実用上では葉書サイズ位の物を印刷するのに適しています。



製版から印刷までに必要な道具一式が全部収納出来るようになっています。インク練板も
蓋の裏側にガラスがはめ込んであり、そこを使用するようになっています。



さすがにこちらは完全手動(笑) 一般家庭用ですが、案内状やお知らせなど同じ文面を
何枚も作らなければならない場合など重宝した事でしょう。



このセットの中に未使用の原紙と共に印刷済みの原紙が残っていました。試し刷りに丁度良いかな?
と思って印刷してみて驚きました。昭和20年に、近親者や知人に宛てたと思われる文面でした。
終戦直後に書かれたと思われ、当時の多くの国民が抱いていたであろう心境が伺えます。
(スキャンしてしまうと少々読み難くなってしまうので、可能な範囲で書き出し、読み下しも付けて併載しました)
候文で、陳者(のぶれば・と読みます。拝啓などの挨拶の後、本文に入る時に使うもの)を使うなど、古めかしい文体です。
母君の療養先であった札幌で7月11日に葬儀をし、戻ってくるつもりが「当時偶々敵機動部隊出現 渡航容易ならず」
とあります。これは7月14〜15日にかけて行われた北海道空襲の事を言っているのではないかと思います。
あるいはこの空襲の為の偵察飛行等が頻繁にあり、身動きがとれずにいる内に空襲となってしまったのかもしれません。
北海道空襲は北海道各地を標的とした無差別に近い爆撃及び艦砲射撃が行われ、青函連絡船も甚大な被害を蒙ったそうです。
そうした事情もあり終戦後の8月24日に至るまでご遺骨の移動が叶わなかったという事でしょう。

それにしてもこの手紙、昭和20年以降の月日が私の誕生日と同じなんです… このセットが私の手元に来た事に、
不思議な縁と言うか、運命的なものを感じずにはいられません。
ちなみに衆楽町は1969年まで渋谷にあった町の名前です。これまた運命的…。
衆楽町は現在で言うところの恵比寿西2丁目付近で、代官山駅の山手線側。

私達は博物館や資料館など様々な場所で戦争関連資料を目の当たりにする機会がある訳ですが、さすがにこの様な形で
目の前に現れると、驚きと共に言葉では言い表せない心持になり、唯々食い入るように文面を読んでしまいました。


それにしても、謄写版、難しいですね…こんなに難しかったっけ? 製版も印刷も。
たぶん先生の段取り、準備が良かったんでしょうね、全盛期とまで言わなくても、テストやお知らせ等、
プリント類は謄写版がまだ当たり前の時代でしたから。只々印刷と聞くや大喜びで、インクで手や袖を
汚しながら印刷していただけでしたが、私でもちゃんと印刷出来てましたから…!
中学生のときは輪転式の謄写版でしたね。あれは当時中学生ながらすごい機械だと思いました。
実際すごいんですよ、ドラムにインクを補充して、原紙をセットし、藁半紙をセットしてハンドルを
廻すと1枚ずつ印刷されて出てくるんですから!その正確無比な動きに見惚れた物です。一定の速さ、
リズムで廻すのがコツでした。カシャッ、カシャッ、カシャっっとリズミカルな響きが今も脳裏に蘇ります。
いや、と言うかカシャッじゃないなぁ、どちらかと言うと、カーシャッ、カーシャッ、カーシャッ、かなぁ(笑)
最もたまに2枚3枚同時に巻き込んだり、藁半紙がドラムに巻きついて貼りついちゃったりなんて事も有りましたケドね〜。
藁半紙なんて今の若い人達は知らないでしょうね…。


※文面掲載については歴史的意義に鑑み、掲載する価値があると判断しここに掲載させて頂く事と致しました。



謄写版印刷を行う上で必要な道具類を見てみましょう。


鉄筆のセット。これで原紙の上に文字などを書いていきます。文字を書く為の先の尖った物や、塗りつぶしを
行うヘラ状の物、罫線を引くローラーなど用途により様々。


軸の先端がはずせるようになっており、使用するタイプのペン先と交換できるようになっています。
ペン先は痛んできたらヤスリと砥石で修正すれば再使用可能です。当時の技術本では、新品をそのまま使用する
のではなく、ヤスリと砥石で使いやすいように調整してから使う様に奨励しています。
そうする事により書き味が滑らかになり、筆記用のヤスリ板が痛むのを最小限に留める事ができるそうです。





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